研究所長のプロフィール

村上 朋也 Tomoya Murakami

出身

兵庫県姫路市生まれ、京都、川崎と移り住み、現在は茨城県守谷市在住

趣味

ソフトテニスを中学の部活~大学での体育会まで継続。社会人になってからは、ややご無沙汰気味。

子供と一緒にはじめた将棋が最近の趣味(最初は勝てていたが、最近は4枚落としても子供に全く勝てないのが嬉しいような悲しいような)。序盤が強いが、終盤が弱く逆転負けをするという典型的な弱い大人から脱却したい今日この頃。

飼い猫が気がつけば四匹(まる、どな、しろ、ビー)

主な経歴・キャリア

大学時代

京都大学 農学部 生産環境科学学科 農村計画室において、微生物を用いた下水浄化に関する研究を行い、技術計算ソフトMATLAB やフォートランを用いてのシミュレーション計算と実験に明け暮れる。

一方で趣味としてコンピューターをパーツから組み立て、何度もコンピューターを壊しかけた経験を経て、なんとなくコンピューターの動作メカニズム、気持ちや機嫌がわかるようになる。

単位取得と研究以外の時間は、土日も含めて、ほぼソフトテニスが強くなることに時間を費やす。100本スマッシュノーミスするまで練習を終わらないといった時代遅れの根性論トレーニングや、吉田山ランニングを後ろ向きで逆走するトレーニング、メンタルトレーニング・瞑想の導入、ビデオ観察による対戦相手のパーソナリティ的な傾向分析、バックハンドを利き手以外で打つスイッチ打法、前衛なのに後衛的ポジションニングで相手を混乱させる戦術など、まともなものからそうでないものまで色々試行錯誤をした楽しい時期であった。格上に勝つジャイアント・キリングの素養はあったものの成績は安定せず、どちらかと言えば安定したプレーに苦労したプレイヤーであった。大学4年生の夏、最後に自分のポテンシャル・力を解き放ちつつ、コントロールすることが出来て所謂ゾーンに入る。破竹の勢いで勝ちまくったが、センターコートに立った時に我にかえってしまい、快進撃は終わってしまった。

当時、在学中・卒業前後に麻田監督が言われた以下の言葉は私の人生観を決定づける重要なものであった。

「体育会は、テニス上達・勝利が最終目的ではない。人間形成が主目的である」

「君は、世の中・社会・物事の基盤(インフラ)を作る人生を選択したのだね」※私が仕事の話をした時に

「出ていけ、ふざけるな」※懇親会に酔っぱらってふざけた外部学生が乱入した際に、腹が震えるような声で乱入者を一喝・圧倒した様子を見て、生物としての強さの根源を実感した

「まず自信を持て。君は、本格派の本物だ。トップクラスをイメージしろ」※私が京都市の大会で1~2回戦で負けている時

初期キャリア

順調に農水省において技術技官としてのキャリアをスタートするはずだったが、紆余曲折と突然の心変わりを経て、Price water house coopers consulting (現 IBM Business コンサルティングサービス)にて、経営・業務コンサルタントとして過ごすことに。SAP R/3の黎明期にて、財務・管理会計システムや物流システムの導入プロジェクトに参画する。

とあるプロジェクトで、あまりに過酷なスケジュールとやる事の多さで、プロジェクトから人が次々といなくなり、残った自分にすべての業務が降りかかり、気が付けば最後の二人として防人(さきもり)的な存在となっていた。逃げたくなる気持ちをぐっと押さえて、最後までやりきること、地道な努力の重要性を学んだ。またその時の顧客からの感謝の言葉は本当に忘れられない。

その後、人材紹介会社ムービン・ストラテジック・キャリアにて、キャリアコンサルタントと営業を経験する。

10名以下のベンチャー企業における経験はとても有意義で、アントレープレナーとしての創業者のマインドや切迫感を学ぶことや、日本トップクラスの先輩エージェントに触れたり、組織が徐々に拡大する経験をする事が出来た。キャリアコンサルタントとしても多くの方との貴重な出会いがあり、様々なキャリアパターンの事例を蓄積できた事は、その後のキャリアにとっても大変有用であった。

中期キャリア

個々人の1:1の支援を数百回続けることを通じて、徐々に組織全体に貢献したいという想いが高まり、人事コンサルティング会社ワトソンワイアット(現 ウイリス・タワーズワトソン)に入社。

リーダーシップ開発、マネージャー研修、指名委員会の設計・運用支援、後継者計画(サクセッションプラン)、エグゼクティブ・コーチング、人材アセスメント、組織変革支援、人事制度設計、M&A後の統合支援など幅広いテーマを中心にコンサルティングを提供。

一流の先輩・同僚のプロフェッショナル性に触れることで、自らもプロフェッショナルとして刺激を受けて、多くの組織・人の課題に取り組むことが出来た。

2016年10月、尊敬する人事コンサルタントであり、ワトソンワイアット時代の上司でもあった永田 稔 氏が立ち上げた株式会社ヒトラボジェイピーのミッション・ビジョン・バリューに惹かれ、参画する。

ヒトラボジェイピー社では、人工知能技術・機械学習・自然言語処理といったテクノロジーと、心理学をはじめとしたサイエンスの知見、組織・人事コンサルティングのエキスパートナレッジを組み合わせた、先進性が高く、社会的インパクトの大きなソリューション・ツールの企画・開発に従事している。

気が付けば、これまでの経験・知識・技術といったドット(点)がライン(線)になり、今の自分を形成している事に気づく。

同時に、ヒトラボジェイピー社での業務以外の時間の有効活用と多様な働き方の一環として、人材・組織に関する個人的興味関心を深め、地域教育への貢献を行うための事業母体として「村上人財研究所」を設立し、研究所長に就任。ウイリス・タワーズワトソンとは、パートナー・コンサルタントとして外部委託先として個別案件に応じて業務委託を受けている(2018年5月現在)。

現在に至る。